刀ステ『義伝 暁の独眼竜』無料配信を見て改めて思った感想とかちょっとした考察とか

刀ステ『義伝 暁の独眼竜』無料配信を見て改めて思った感想とかちょっとした考察とか

2020-05-28
刀剣乱舞

2020/05/27、おうちで刀ステとして刀ステ一挙無料配信が行われている。
2017年に一度実は見ているけれど、もう一度見直すと見えてくることがあるような、無いような。

維伝まで履修してから見直すと「あー!」って思う所があるよなぁって思って、改めて感想とかちょっとした考察とかを残していきたい。

始まりは関ケ原の戦い

本編のメインである関ケ原の戦い。

これをOP前に持って来て印象付けている。

ただし、この関ケ原の戦いには本来いないはずの伊達政宗が参戦している。
また、後ほど書いていくけれども鶴丸のセリフ

「同じ戦場、同じ敵、代り映えしない戦い。驚きが足りない」

というシーン。ここは後ほど同じ場面なのに同じではないっていう場面なので、少し覚えておきたい。

太鼓鐘貞宗が顕現されたことで伊達組がそろった!畑当番がかわいい

貞ちゃんが顕現されたことで伊達ゆかりの刀が揃った。
三日月が「燭台切光忠のもとにいるだろう」って言っていて、そこから場面は畑に。

ズッキーニを口説いていた光忠の元に貞ちゃんが登場。
背の高い光忠に飛びつく貞ちゃんが、本当に貞ちゃんだった。

くるくる回っていて本当かわいい。

畑耕すセリフが光忠が「格好よく」、貞ちゃんが「派手に」って繰り返していた…!

みみずをぐるぐる回しながら歌仙ににじり寄る貞ちゃん

畑に朝ごはんの野菜収穫を催促しに来た歌仙に、何だかめちゃくちゃでかいみみずをぐるぐる回しながら付けようとするの、本当に自由(笑)

ゲームでの内番で畑当番にした時の不機嫌さを踏襲している。
可愛い!

ゲームでの「九曜と竹雀のえにし」の回想を広げた物語

大倶利伽羅と歌仙が二振りで江戸に調査に出る話はゲーム内の回想「九曜と竹雀のえにし」のストーリー。

ゲームまんまのセリフを使ってる。

「東北の田舎刀が」と捨てセリフを吐くのも、大倶利伽羅のことを小夜が「一匹龍王」と称して「いじけた子犬」だと言うのもまさに。

また光忠クッキングも回想シーンを広げた形になっていた。

まんばちゃんが助手で刀紋入りの割烹着着てるのかわいい!ノリノリで出来合いの品物出しでいくのかわいい!いつの間にか餅が三日月に奪われてるのかわいい!

とにかくかわいい光忠クッキング。

回想の「九曜と竹雀のえにし 接触」で見れる部分。

「一度小夜ちゃんが歯を見せて笑っているところを見たくてね。料理は良いよ、この体で一番いいのは料理を作れることだね。次に頭を撫でてあげられることだ」

「…歯を見せて笑うと風流じゃないそうです」

「もう一人美味しいって笑ってもらいたい人が来たよ」

「あれはかなりへこんでいるな」

「うちの、歌仙兼定のせいかもしれません…」

ここは光忠と小夜ちゃんしかいないシーンだったけど、ステでは予め鶴丸がいるし、貞ちゃんもいる。三日月とまんばちゃんもいるから少しアレンジがあるけれど、概ねゲームと同じセリフ。

敢えて言うなら光忠が「人の身になって良かったのは」と言い換えていたことだろうか。
多分分かりやすくするためかなと思う。

三日月が遠足に出るのは初めてだった

鶴丸が主に提案した遠足。
「耳が悪くなったか?遠征か」
と言った三日月に対して「遠足だ」と言い張っている。

藤森に遠足に出てから三日月が「遠足は初めてだ」と言い、どんぐりを拾い集める。

まさかこのどんぐりが慈伝まで引っ張られるアイテムになろうとは当時思いもしなかったんだけれど、注目すべきは「藤森」に「遠足」に出ることである。

あとで少し触れたい。

遠足に出してくる小道具がかわいい

歌仙がさり気なくもっている『遠足のしおり』がかわいい!

表紙が手描きのこんのすけ。裏に「歌仙兼定」って名前が書いてある。かわいい!

普通に会場だと、さすがに後ろの席ではそこまで見えなかったから、今回で初めて表紙にイラストがあることを知った。

ちょっとプチ考察

悲伝まで履修していると、三日月は何度も同じ時間軸をループしていることが知れるんだけれど、そのループをした中にこの遠足に出る時間軸は他にはなかった可能性があるなと思う。

「遠足は初めてだ」と言うことは、今までは「遠征」で調査しかしてこなかったと見られる。

そうなると、今回の時間軸で初めて今までと違うルートが開けたことが何となく伝わってくる。

同じこの伊達・細川の刀たちの物語軸を周っていたとしても、どんぐりを拾うのはこのルートだけ。

この「藤森」という地は鶴丸国永に関する地でもある。

藤森神社に一時期鶴丸があったとされることから、多分鶴丸自体に分岐点を持たせているのでは?と。

染谷鶴丸と健人鶴丸で、健人鶴丸の時間軸で新たなルートが開けている。

維伝での染谷鶴丸が「出陣が久々」云々と言っていたから、恐らくルートが違う。
初演軸と維伝軸は同じだけれど、虚伝再演~慈伝までの時間軸はまた違うものと考えても良いかもしれない。

三日月と鶴丸の会話が不穏

「三日月は山姥切の心配ばかりで大変だな」
という鶴丸のセリフ。

何をさせたいんだということも三日月に問うていた。
虚伝でも言っていた「俺はいつか天を驚かせたい」というセリフがここでも使われている。

「もっと驚かせたいのはあんただ」と言った後の三日月のセリフ

「俺を驚かせるのは骨が折れるぞ」とめちゃくちゃ低い声と真顔で言うの、怖さをふくんでいるのに「俺も驚かせてくれ」って普通に切り返すのが鶴丸が、やはり古い刀であることと、三日月と並んでも遜色がないくらいの立ち位置なんだなって思った。

あそこにいたのがまんばちゃんだったら、布饅頭になってたよ…。

大倶利伽羅と小夜の会話

西行法師の和歌「年たけて また越ゆべしと 思ひきや、命なりけり 小夜の中山」から来る名前だとからちゃんに伝える小夜ちゃん。

これが打刀以上ならからちゃん、絶対大人しく聞いてなかっただろうなって思いながら見ていた。

「美しい歌だな」って返しているの、優しい。

「大倶利伽羅さんの元の主は、伊達政宗様はどんな人でしたか?」と小夜ちゃんがからちゃんに聞くけれど、ここでの返答は無し。

義伝における「畑」の意味

まんばちゃんと三日月が会話するシーン。

「畑の野菜たちは早く育って欲しいからと水と肥料をたくさんあげれば良いというわけではない」

と、悩むまんばちゃんに諭す三日月から「畑」は本丸、「野菜」は刀剣男士と置き換えて見ることが出来る。

その流れで「根腐れを起こしてしまって上手く育たなかった」というセリフも。

その後にまんばちゃんが気付くのが「あんたは何者だ」という問い。

まんばちゃんにもしっかり、上記の比喩が伝わっていたからこそ三日月を不審に思ったのではないかな…。

「あんたは俺たちをどうしたいんだ」
「俺はただこの本丸を強くしたいだけだ」
「じっくりと種をまき実りの時を待つのだ」

虚伝再演での軍議で「改変を防ぎきれていない可能性がある」(ちょっとセリフ違うかも)っていうのがあって。

維伝でその可能性については触れるんだけど、刀剣男士が強くないから防ぎきれていない⇒なぜかループしてしまう三日月が未来を知っているから、仲間を強くさせる(改変を防ぐ)ってことを示しているような。

伊達主従と出会った一行たち

藤森で政宗と小十郎の伊達主従と鉢合わせる一行。
何者だという答えに歌仙が答えるシーン、声が上ずっちゃってかわいい…!

人見知りスキルが発動している(笑)

その後光忠がきちんとフォローするんだけど、そのときに元主に対してスマートに対応してるのにちょっと嬉しそうなのがまた、良いなって思う。

眼帯がお揃いっていうところ「奇遇だね」って。

貞ちゃんから「伽羅は戦に生きる猛将の政宗様が好きなんだな」って言われているの、大倶利伽羅の来歴に関係するのかな。
その後の短刀たちの索敵能力の高さを見せつけてくれるのも。

敵が来たの、すぐ見破って対応する早さよ。

大倶利伽羅の来歴

伊達政宗のもとに大倶利伽羅が送られたのは1620年の江戸城の石垣修築の褒章だと言われている。
つまり1600年の関ケ原の戦いには大倶利伽羅はいなかった。

註釈刀剣名物帳(高瀬羽皐:著 大正2年刊)には「松平陸奥守殿(仙台伊達伯爵家) 大倶利伽羅廣光 長弐尺弐寸半 代千貫 彫物故名付るなり。此由来分からず、仙台藩の若林靖亭の語りしとて其孫の説に『大クリカラ』と云は政宗常に軍陣に帯たる刀にて業物なりと、或は然らん。」とある。

https://www.tsuruginoya.net/stories/ookurikara/

関ケ原の戦い以降、伊達政宗にとって天下を揺るがすような戦いは無かった。
だから本当は猛将としての政宗の姿は実際大倶利伽羅は見れなかったのではないかと推察できるんだよね。

これは極修行に出た大倶利伽羅の手紙でも言われている。

「仙台藩に来た頃にはもう、大きないくさなんて起こりようがなかった」と。

政宗だから大きな戦をしていただろう(という勝手なイメージ)が伝説を生んでしまい、それが大倶利伽羅が背負う物語となった。

でも実際は戦をしていないから、大倶利伽羅は猛将としての主を見れず、天下を欲する思いだけが残ってるんだろうな。

だから関ケ原に、天下を求めた元主の願いを叶えてあげたいって迷うの、ちょっと優しすぎだよねって思った。

小夜が刺されたときの歌仙の顔が忘れられない

「お小夜ぉぉぉぉぉぉ」って叫ぶ歌仙の表情を抜いたカメラワークがすごすぎだと思う。目をかっぴらきながら叫ぶ和田琢磨の表情が、これ劇場だと本当に前の席でなおかつ斜めから見るしか見れない表情。

配信、素敵でした。

関ケ原の戦い円環の話題を出してくる

同じ暁の刻を繰り返している。
このシーンが、冒頭で流れたシーン。

ここで三日月が「暁の刻を何度も繰り返している。それも一度や二度ではない」って言っているんだよね。

冒頭のシーンで鶴丸が、「同じ戦場、同じ敵、代り映えしない戦い。驚きが足りない」って言っているんだけど、実際本編ではこのセリフは無い。

ここでは「終わりなき関ケ原。この世は驚きに満ちている。面白くなってきたじゃないかになっているのだ。

繰り返しが一度や二度ではないってことを、ここで拾うのかな…。

何度も繰り返し同じ暁の刻を繰り返しているっていうことなんだろう。
だから冒頭のセリフは、私たちが観劇していない時間でも円環をこのメンバーで繰り返していたか、はたまた三日月が何度も周る円環の中でのいつかの時間軸かどちらかだと思う。

政宗の天下への執心が時代の転換点になっている。=からちゃんの存在が(先ほどの来歴の部分)カギになるんだろうな。

「この閉じられた円環の中で決着をつけねばならん」
「時間の牢獄に捕らわれるだけだ」

このセリフを言う三日月の心情は計り知れない。

これが初見だと、三日月が虚伝~悲伝までの時間を何度もループしているのが分からないから、文面通りに義伝を終わらせるための言葉に思えるけれど、すべてを見た後だと、既に大きな時間の牢獄に捕らわれている三日月が自分自身に言っている言葉だとも取れるんだよね。

一度同じではない暁の刻がある。歌仙と大倶利伽羅が細川陣営に捕まる部分

「狂気に身を落とす貴殿を悲しく思う」と元主細川忠興に告げる歌仙。

始めのころに小夜ちゃんと語るシーンで三斎様を好きかどうかは分からない。狂気に落ちた人ではなかったと思いたい。と告げていた。

風流に関して元主に諭され、またそれに対して嫌味で返す。

「血染めの着物など風流ではない」と言ってのけたのは、かつて忠興がガラシャの目の前で彼女に見惚れていた庭師を斬り、その刀身に付いた血をガラシャの着物で拭ったという話がある。その血に染まった着物をガラシャはずっと着たまま数日間着ていたという。それに対しての嫌味だなって。

死にたくば刀を取れと、本体を帰す忠興が「之定の刀か…。俺も似た之定の刀を持っておる。…自慢の刀じゃ」と歌仙に言うの、本当、その後めちゃくちゃ嬉しかったんだろうなって思う。

素直さが足りないってからちゃんにも言われてたしね。

黒い鶴丸になるのが円環の分岐点に関りがあるのか

黒甲冑が甲冑の付喪神で、これもまた政宗の物語を背負っているという。

からちゃんが政宗を討てなかったところから、黒甲冑がからちゃんを取り込もうとして鶴丸がそれの身代わりになるシーン。

黒甲冑が活躍していたのは、まさに大きな戦があったころ。でもからちゃんは先述した通り、実際には大きな戦には出ていない刀。

両方とも「見果てぬ夢の成れの果て」である。

だから本来はこの2つが融合するはずだったのが、鶴丸というイレギュラーが発生した。

ここで黒鶴を見た三日月が「こいつは驚いた」と鶴丸のセリフを言っていることから、いつもは大倶利伽羅が黒甲冑に取り込まれていたのでは説が浮上。

冒頭部分の鶴丸のセリフが「いつもの関ケ原」のセリフなら、本編で「終わりなき関ケ原。この世は驚きに満ちている。面白くなってきたじゃないか」っていうのは、このイレギュラーが発生することで起こる同じじゃない繰り返しを起草させる意味を持ってるのかな。

「見果てぬ夢の成れの果て」と背負ってる黒甲冑と物語が曖昧な鶴丸の融合で、恐らく三日月の円環に変化が起きた。

「俺を驚かすのは骨が折れるぞ」というセリフの回収。健人鶴丸は三日月を驚かすことに成功している。

これもひとつの円環に対する変化ではなかろうか。

黒鶴の殺陣が違う!考察とか置いといて、ここは見ておきたい

黒甲冑に取り込まれた鶴丸を見て、初見の時「pixiv」で見たやつー!って思っていたけれど、よくよく見ると、普段と殺陣が違うんです。

いつもの鶴丸だと鞘を片手に持って戦うんですが、黒鶴だと鞘が無い。

あとちょっと動きが遅い。
こういうちょっとした違いは気付くと感動ものである。

まんばちゃんと小夜の成長

ずっと復讐に捕らわれている小夜ちゃんと、その葛藤に気づいてどうにかしてあげたいまんばちゃん。

関ケ原での奮闘中、この二振りも自分たちと向き合っていた。

「本当の強さって何ですか」という小夜ちゃんの問い。

最初に尋ねた時は答えられなかったまんばちゃんも、どんなに強くなっても強くなったと思えない彼の思いを受け止めてあげたあとは答えてあげられるようになっていた。

「本当の強さは心の強さ」
「今だって俺の心は弱いままだ」
「心の強さを極めて見せる」

そう言って打ち合って、小夜に付き合ってあげることで小夜ちゃんが修行に踏み切れた。

「心の強さを極めて見せる」という極の部分、小夜が極修行に行くことも考えられるけれど、この後悲伝の最後にまんばちゃんも修行に出ていくからそこにも思いがあってほしい。

伊達政宗の最後、九曜と竹雀のえにし

主からの計らいで、伊達・細川メンバーは伊達政宗の最期に立ち会いに行く。

伊達政宗の最期の合戦。

「まだ暁の刻だ」と言うセリフは、政宗が死へと向かうこの時代には大きな戦など実際は無かったから、ずっと政宗の心にはあの暁の刻の時代があるんだと思った。(これが大倶利伽羅にも繋がると思っている)

あとこのシーンに出ている、後ろに控える小十郎、この時点で史実では亡くなっている。(戯曲本には「老家臣」としか書かれていない。小十郎とは書いていないという)

誰とも会話が成立していないことも、よく見ると分かる。

政宗の最期は史実では妻や子供でさえ、寄せ付けなかったとされることから本当はここには忠興と政宗しかいないのだ。

政宗がまだ暁の刻だと思っているから、彼には小十郎が見えていた…かもしれない。

この後伊達と細川の絆は強固に。
「九曜と竹雀のえにしよ」というセリフはこの2つの家の関係がこれから先も続いていくことの希望とか願望とかが込められているのだろうか。

作中でも伊達宗村が細川宗孝の遺体を隠し、細川家を守ってくれて御家断絶を防ぐことに成功していく。

修行に行く小夜に三日月からの贈り物

この時間軸での遠足で拾ったどんぐりをお守りに、三日月が小夜ちゃんに渡した。

「必ず帰ってきます」と告げた小夜ちゃんに、「この本丸は俺たちみんなの帰る場所だ」と言った三日月。

北欧ではどんぐりは幸運のお守りとされていて、生命のお守りなんだという。

”Big oaks from little acorns grow.”
オークの大樹も小さなドングリからという諺がある。

大きく育つ可能性があるという意味を持たせてのお守り。
修行に行く刀剣たちには持ってこいのアイテムだった。

どんぐりを持っているから、迷わず本丸に帰ってこれる(幸運・生命のお守り)、持っていることで修行を成功し、大きく成長できる。だからこれを持っていれば…。

遠足に行かなかった時間軸ではどんぐりは拾わないはずで、だとすると先述の畑で「大きく育たなかった」というセリフは修行が成功しなかった場合があったと取るか…

「この本丸は、もっと強くなるぞ」
「もし叶うなら、それを見届けたいものだ」

この時の三日月の表情、無表情というか悲しそうというか。

そこに自分はいないかのような、見ることが叶わない、これも「見果てぬ夢」だというようなシーン。ちょっと見てるこっちが泣きそう。

光忠ラーメン時のからちゃんと歌仙がかわいい

貞ちゃんが湯切りしたラーメン、落としたのにそのままどんぶりに入れていて、さすがにからちゃんも「麺は変えないのか」って言ってるのかわいい。

素直になれない歌仙ちゃんがよそ見しながらお酒だしてるのかわいい。

とにかく、ここはみんなかわいい。

まとめ

何だかとやかく書いたけど、初見なら何も気にせずストーリーとキャラクターの再現度を中心に見て欲しい。

あくまで私が感じた考察とか感想とかで、初見は全くここまで考えてみていなかった。

2度目・3度目でようやっと気づく。

まだ答え合わせが出来ない状況だけれど、とにかく義伝は推しがめちゃくちゃ重い殺陣を、さもするとフルスイングしている歌仙兼定が見れて大満足です。